原点への回帰 | 27歳広告屋のひとりあそび

原点への回帰

 ベトナム化の様相を呈してきたイラク情勢。

 大学で一応、国際政治を学んだ人間としては 昔の情熱を呼び覚ます、きっかけとなる事件でもある。
  
  随分前に、以下の記事を書いたことをふと思い出し、

 過去のHPの中から引っ張りだしてみた。

 もう一度、自分の夢、原点を確認する為に。
 
 「レクイエム」

 この本は、5年前ぐらいに出た、ベトナム戦争に従軍した
 フォトジャーナリスト達の遺作を集めた 写真集。

 この本が 高校を卒業して、浪人して、新宿の図書館で本を読み漁っていた時に、志望校を変え、人生の進路を決めるにあたってとても感銘を受けた本。

  自分のターニングポイントでもあったし、いまでも絶対手放せない本の一冊。
 今でも、彼らの記録は見るチャンスがある限り、触れるようにしている。

  写真はときに残酷で、時にハッピー。
 ハゲ鷹に瀕死のアフリカの子供が襲われようとしているときに
 彼を写真に収めた写真家は、その後の世論に耐え切れず自殺した。

  写真という道具は、見る側(受け手)と撮る側(送り手)をつなぐ道具としては、かなり強力なパワーを持っている。
  特に、彼らの戦場での写真には様々な問いかけが存在している。

 インドシナ・ベトナムでは「生と死」のドラマをターゲットに多くのカメラマンが死線 をさまよってきた。
 一九五四年、ロバート・キャパはハノイ南方で地雷を踏んだ。
 「安全への逃避」でピュリツァー賞を受賞したUPIの沢田教一は七○年、プノンペン 郊外で狙撃された。日本人だけでも八人が犠牲となっている。
 彼らをそこまで掻き立てるものは、何だったのか?名声欲、冒険心、憧れ。
 彼らの遺作となった写真を見るたびに、紛争とは、平和とは、人間とはと考えさせられ る。
 
 彼らは何を思い、何を撮っていたのか。
 人々が生きている瞬間を納めるカメラ。
 悲劇もあれば、喜びもある。人生のワンカットを納める写真。
 そこに眠る思いを、この先どれだけ感じることができるのだろうか。

(写真:一之瀬泰造の被弾したライカ)

  以上、7年前のつたない文章を修正しつつ、ほぼそのまま転載してみました。

 ファインダーを通して人の心を見ようとしていた21歳。

 今は、自分の目で人の心と勝負をかける仕事をしているけれども、

 いつか、原点に戻って、ファインダーから見える世界を旅したいと思うのです。